9月, 2016年

ポーランドミュージシャンとの音楽交流

2016-09-23

6月の地唄舞普及協会ポーランド公演でお手伝いしてくださった、3名のミュージシャンをポーランドよりお迎えし、地唄舞との共演を東京でも実現致しました。

 

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9月10日紀尾井ホールにて

公演では、会場の皆様ともポーランド音楽を合唱いたしました。

 

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4回の公演が無事終了致しました。公演には多くの方がお越しくだり、温かく迎えてくださいました。誠にありがとうございました。

地唄舞上達への道②  ~杜季女聞書抄~

2016-09-16

 

地唄舞上達への道②

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                                       琴      富志乃清愁

 

前回に引き続いて、地唄舞上達への道です。

 

※ 私の場合の上達しない理由はいくらでもあげられますが、お稽古を始めた頃に振りをいれるのに苦労したのは、音楽、つまり地唄がよくわからなかったことも大きな要因に思われます。歌詞を教えていただいて文字で読んでみても、地唄として聴くと何を唄っているのかわからない、まして歌詞のない三味線だけの部分など違う曲でもみんな同じように聴こえてしまうなど、とにかく音楽へのとっつきがよくありませんでした。振りをどこで合わせたらよいのか、どの音にあわせるのか、西洋の音楽のような拍子がないので、「間」の取り方なども難しいのです。

 

╶─珠真女さんは小さい頃からピアノを習っていらして西洋音楽のほうに親しんでいましたから、聴き慣れていない音楽だったのだと思います。これは世代の問題もあります。私も三歳からピアノを習っていましたが、あの当時音楽のお稽古といえばお琴ではなく殆どがピアノでした。学校でも日本の伝統音楽に触れる機会は全くありませんでした。最近は学校で少し教えるようになってきたようですが、お茶を濁す程度のことでしょう。今の家庭環境では、邦楽人口は先細る一方です。

神崎ひで師匠は、録音テープがない時代のお稽古はご自身で三味線をひいてお弟子さんの指導をなさっていたと思います。あの時代の地唄舞のお稽古はどこもそういう形であったでしょう。今そういう指導をなさる師匠を私は知りません。

 

※音楽はネット配信で聴くので、CDでさえいらないような時代になってしまいました。ですから師匠の生の三味線でお稽古というスタイルは、『細雪』などに描かれていた地唄舞のお稽古の身近な時代の、もう二度と戻ってくることのない懐かしい羨ましい環境に思えます。

 

╶─╴クラッシックでも何でもそうですが、やはり録音ではない生の演奏が一番なのです。しかもお稽古で使用している演奏録音は、舞の初心者のために少しテンポを遅くしているものがあります。そのために最初は音楽として魅力が伝わりにくいという面はあるでしょう。とにかく耳が馴れることです。お稽古以外に、本来の上手な人の演奏をよく聴くことが大切です。邦楽なら一中節でも長唄でもかまいません。昔は邦楽のレコードがたくさん出ていました。今は昔より邦楽市場が縮小してしまって残念です。名人といわれる人の、今は絶版のレコードがたくさん手元に残っているので、生徒さんたちにも聴いていただきたくてそのうちダビングしようと計画しています。

 

※やはり身近に邦楽を聴いていくことが大切なのですね。たしかにクラッシック音楽でも聴く習慣がなく育っているとなかなか佳さがわかりません。退屈だと思われて敬して遠ざけたままになる場合もあります。邦楽も同じように小さい時から聴いてこなかった人ほど親しみにくいということは言えると思います。地唄への感受性のなさで私は音楽と舞との一体感がなかなか得られなくて苦労しました。今も少しだけわかってきた程度です。

せっかく自分の生まれ育った国の音楽なのによく知らずにいることは残念ですから、舞の勉強は地唄という伝統的な邦楽を学ぶことでもあると思って耳を鍛えていきたいと願っています。それにしても先生は殆どの歌詞を覚えていらして、お稽古のときに口ずさんでくださる地唄もお上手なのでいつも感心してしまいます。

 

╶─地唄は、現代の私たちの周囲にある音楽とは本当に違います。テンポもゆっくりですし、ドレミという音階もありません。それでも、聴き続けているうちにしぜんにわかってきます。私も神崎ひで先生に通い始めた子どもの頃は、ひで先生の舞に視覚的に圧倒される気もちのほうが強かったのです。西洋音楽の調性で育っていたので、地唄の感じが音が微妙にずれている気がしていました。お稽古始めてから何年か経つうちに地唄はいいなあと分かるようになりました。

 

※村上春樹さんの小説の中に、人間は退屈でないものにはすぐ飽きてしまうという意味のことが書いてあったことを思い出します。とっつきがいいものは飽きやすいということはたしかです。地唄は決してとっつきやすいものではないけれど、だからこそ飽きずに聴き続けられるといえるかもしれません。やはり名取のお許しをいただいてお稽古する「菊の露」あたりから、私もやっと地唄の魅力をしみじみ感じるようになりました。先生とご一緒に「菊の露」を舞っている時間は至福の時間でした。自分で自分の舞は見えませんから棚上げしてしまって、地唄と一体になった先生の舞姿を独り占めできるのですから幸せなのは当たり前です。

 

╶─十二月三日に予定している門下生の会では、初めての試みをいたします。今年オープンさせた三鷹の新しいお稽古場で実際の地方さん、菊央雄司氏・日吉省吾氏・中村仁樹氏・富志乃清愁氏をお願いしての発表会です。これまでは国立小劇場や紀尾井ホールなど舞台の時にしか経験できなかった実演での舞の会ですから、臨場感が違うはずです。またとない勉強になるでしょう。理想をいえばお稽古初心者の時から地方さんの演奏で舞う機会が多くあるとよいのです。

 

※門下生にとっては得難い機会ですから今から楽しみです。バレエの公演などでも録音演奏での舞台が増えていますが、やはり録音は音の缶詰なので実演には到底及びません。観る側としても、気合が入ります。

 

╶─地方さんの地唄での舞の伝統を受け継いで次世代に伝えていくことが大切なのは言うまでもないことですが、私は舞手として日本の音でなくても舞えなければいけないと考えています。たとえばチェロのような楽器との創作も素敵です。海外公演の際のコラボレーションでは、西洋人と音の捉え方が違うと言われ、自分の日本人という根が証明されたようで少し嬉しく思いました。どのような音楽においても地唄舞の美を追求していくことは可能だと思っています。

 

※音楽の問題に続き、次回は上手下手を分ける決定的な違いと私が考えることについてお伺いしたいと思います。