11月, 2016年
第十八回 花崎杜季女 門下生の会
第十八回 花崎杜季女 門下生の会
12月3日土曜日午後1時半
花崎杜季女三鷹稽古場《六瓢庵》にて開催されます。
稽古場についてはこちら
ちょっと地唄舞情報 ~六瓢庵~
六瓢庵について
この度、花崎杜季女師は三鷹に新しいお稽古場「六瓢庵」(むびょうあん)を開設なさいました。
※新しいお稽古場の竣工おめでとうございます。この六瓢庵と名付けられた新しいお稽古場のお話をお聞かせください。
╶─以前から願っていた新しいお稽古場を作ることが実現しました。今回この六瓢庵を作りました目的は二つあります。
一つは、地唄舞花崎流の常設公演のできる場所を作りたいということがありました。花崎流の地唄舞をもっと身近に知って鑑賞していただける場所が欲しかったのです。
現在日本で地唄舞専用の常設舞台は殆どありません。そのためいつもどこかの会場をお借りする必要がありましたが、会場とこちらの日程を調整するのが大変でした。またお借りする場合はそれなりに費用もかかります。
もし自前で地唄舞の舞台をもつことができたらたとえば月に一回でも定期的に地唄舞を観ていただくことができます。企画によってはワンコインで気楽にいらしていただくことも可能になります。
もう一つの目的は、六瓢庵を地唄舞だけでない総合的な「和の発信」場所にしたいということです。ピアノなど洋楽を楽しむサロンはたくさんありますが、「和」に特化した場所はなかなかありません。たとえば尺八の演奏なども、敷居が高くてなかなか聴きにいけないというようなお話を伺います。そういう和の伝統芸能を肩肘張ってホール等に行かなくても、ご近所の家を訪ねるような感じで鑑賞しに来ていただけたら素敵だと思いました。もともと日本の伝統芸能は規模の大きな場所で鑑賞するものではありませんでしたから、そういうものを作りたかったのです。
敷居を少しだけ低くして、和のほんものを一人でも多くの方に観ていただき親しんでいただきたいと思います。ただし、公演内容の質は決して落とさず、最良のものを目指していきます。
※なぜ三鷹を選ばれたのでしょうか。
╶─たまたま三鷹の駅から二分ほどの場所に私の母が家を持っていたのですが、長く利用していなかったのでここを改築することにいたしました。土地を購入して一から建てるということならとても実現できなかったと思います。
現在のお稽古場の高輪とは逆方向なのですが、色々な地区で地唄舞のお稽古場があることは良いことです。裏手には故丹羽文雄さんのお宅があるような住宅街で住人の方がとても街を大切になさっています。花崎流にとって初めてのこの武蔵野地区での活動を楽しみにしています。
※どのくらいの広さになりますでしょうか。
╶─客席は六十名くらい、詰めれば百名ほどは入れると思います。和の伝統に添ってマイクなどの器械をいれないで音の響く空間にしました。椅子席は入れ込み式の階段状で、三十数席、まわりに椅子を並べ、あとは座布団を用意しています。天井が高くて四メートルほどあります。
床は檜になっています。背面の襖は屏風風で上から吊り下げる方式です。襖の後は舞台の背後が通れるようになっています。和のお稽古の伝統を大切にしたかったので、あえて鏡はつけていません。
※まさに檜舞台なのですね。お話しを伺うだけでも素晴らしい六瓢庵で、十二月三日の門下生の会が楽しみです。この六瓢庵という名前にお決めになったのはどういう理由でしょうか。
╶─家族がいくつか考えた中から、他の施設で使われていない名前を選びました。
※「無病息災」も願える縁起も良いお名前です。先生を支えるご家族の皆様の愛を感じます。
╶─そうですね。夢が実現したのは家族の助けがあってのことで、私はとても恵まれていると思います。
※この新しいお稽古場で先生の今後予定なさっていることを教えてください。
╶─まだスタートしたばかりですが、今後は門下生の皆さんと一緒に色々な企画を考えて運営していきたいと思います。場所の出来た強みを生かしていきます。
お弟子さんの個人的な舞の会なども今までより開きやすくなりますので良い修行になるでしょう。舞の本番の場数を踏むことは大切です。また、ひとに教える経験は上達への一番の道ですから、そういう指導場所として使っていただいてもよいのです。近くに桜並木がありますので花の季節に花見の舞の会などもよいと思っています。
東京オリンピックを前に、東京都も和文化の発信を奨励しています。海外の日本の舞に関心のある方にも、ワークショップやホームステイのようなかたちで場所を提供したいと考えています。現在の高輪のお稽古場より広いので一度に大勢でのお稽古も可能です。外国から観光にいらした方に地唄舞を一日体験していただくことなど、少しでも和文化発信のお役に立ちたいと思います。
※先生は地唄舞普及に非常に熱心に貢献されていると思います。毎年同じことを単調に繰り返しているのではなく、舞においても普及活動においても、着々と新しい企画をお考えになって前進していらっしゃいます。今回地唄舞経験のない方含めて、国立劇場の舞台に立ちましょうという新しい企画もわくわくするものです。
╶─こういう企画は六瓢庵が完成したので可能になったことです。大人数でお稽古できるスペースができました。
私は舞を習い始めてたった六か月で神崎ひで師に舞台に立たせていただきました。そのくらいひで師のご指導は徹底していらしたので、今も感謝に耐えません。
今回は稽古はじめから国立劇場の舞台本番まで十か月あります。六瓢庵で定期的にお稽古して初心者の方でもきちんとした舞台に立っていただけるレベルになるように、私にとりましても指導者としての新しい有意義な挑戦だと思っています。
国立劇場の舞台に立つということは敷居が高いと思われていますが、費用を明確にしていることで安心して参加していただけるでしょう。衣裳、鬘、お化粧なども超一流のスタッフがお手伝いしてくださいます。ご参加くださった皆様には、是非最高の舞台で日本の美を体験して、喜んでいただきたいと思います。 (文責 珠真女)
ワークショップ「鶴の声」終了
10月14日、28日、11月11日と3回にわたり開催されたワークショップ「鶴の声」には多くの方にご参加いただきました。
熱心にお稽古をしていただき充実のワークショップとなりました。ワークショップ最終日には参加者二組に分かれて成果を発表いたしました。
ご参加の皆様にはアンケートにもご協力いただき御礼申し上げます。
◆ワークショップ「鶴の声」アンケート集計結果
回収数 6
◆今回のワークショップは何でお知りになりましたか?
チラシ 1
ホームページ 2
知人、友人から 2
その他 1 (公演で)
◆会場はいかがでしたか?
大変満足 5
満足 1
◆平日の夜という時間設定はいかがでしたか?
よい 5
無回答 1 (遠いので昼間のほうが良い)
◆3回で「鶴の声」1曲、1回1時30分の時間設定はいかがでしたか?
大変満足5
満足 1
意見(とにかく、黒髪の地唄舞を知ることが出来た。倍速でと言いましたら?四倍速とのお答え、なんとなく唄の意味がつかめただけですが)
◆また地唄舞ワークショップに参加したいですか?
参加したい 6
◆参加したいとお答えくださった方にお聞きします。今後舞ってみたい曲などございますか? 重点的に指導してほしいこと等ございますか
高砂 鶴の声をもう一度
扇の動きを重点的に指導してほしい
◆ご意見、ご要望、ご助言等ございましたらお願いします。
・大変だけれど楽しかったです。ありがとうございました。
・大変わかりやすいワークショップでした。
・もう一回くらいあると良いと思いました。
・出会いのふしぎさに驚いています。
・とても丁寧にご指導いただきありがとうございました。
・日本橋に6:30に伺えますが、三鷹には伺えないと思います。
2017年11月国立劇場で舞うあなたを募集します。
〜舞台があなたを呼んでいる〜
稽古
◆ 2017 年1月より ◆
・第3金曜日 19時より22時
・第4土曜日 15時より18時(変更のある場合は、事前にご相談させていただきます。)
・場所 花崎杜季女稽古場(三鷹駅より徒歩2分)
・講師 代表 花崎杜季女
◆ 稽古スケジュール ◆
・1月〜6月 全員で数曲を稽古。
・7月・8月 それぞれが美しく映える曲をこちらで選 定。決定曲の徹底稽古。
・9月・10月 群舞の合わせ。地方(演奏者)との合わせ。狂言作家による演出決定。
・11月9日 本番
◆ ご用意頂くもの ◆
浴衣帯一式(着物可)、足袋、扇(お稽古用の扇5000円をご 購入下さい)
本舞台
地唄舞 花崎会
・日時 2017年11月9日(木)18:30より 予定
・場所 国立劇場小劇場
3曲位を選び、群舞を舞います。
費用
30万円(1月と10月に分けてのご請求になります)
含まれるもの:本番前お稽古(月2回/1月〜10月)、本番の 衣裳、美粧、舞台、地方など一式)
最低催行人数 : 6名
お申込・ お問合せ
地唄舞普及協会 メールjiutamai.fukyu@gmail.com 電話080-3933-8731
申込締切2016年12月28日(水)
参加者が催行人数に達しました場合は、2017年1月7日(土)の午後に、説明会を開きます。
ちょっと、地唄舞情報 ~追悼アンジェイ・ワイダ監督~
追悼 アンジェイ・ワイダ監督
(この写真はポーランド大使館より使用許可をいただいております)
10月11日の新聞にポーランドのアンジェイ・ワイダ監督の訃報が大きく掲載されていました。正式な逝去日は10月9日のことで享年九十歳。世界の尊敬を集めてきたアンジェイ・ワイダ監督の功績については今さら書く必要もないことですが、2007年に「カティンの森」2013年に「ワレサ・連帯の男」最新作は2016年今年の「残像」とのことですので、八十歳過ぎても休むことなく素晴らしい映画を創り続け天寿を全うした生涯といえるでしょう。
なぜ、地唄舞にまったく関係のなさそうなアンジェイ・ワイダ監督のことを書くかと申しますと、実は杜季女師の今年のポーランド公演に関係しています。2016年6月24日のクラクフでの公演は「クラクフ日本美術・技術センターMANGGHA(マンガ)館」の舞台で行われました。ここで杜季女師が「残月」の地唄舞を披露し好評をいただいたことが来年度の再演招待の理由になりました。この通称「マンガ館」は日本の伝統工芸や美術品の中欧、東欧における随一のコレクションを有する、日本文化の拠点です。
この「マンガ館」はアンジェイ・ワイダ監督が設立したもので、彼がいなければ決して完成することはなかったのでした。「マンガ館」という名前もワイダ監督が北斎漫画から名付けたもので、勿論アニメのことではありません。ワイダ監督は日本文化を愛した人でした。
既にご存知の方もいらっしゃるでしょうが、アンジェイ・ワイダ監督への追悼と感謝をこめてマンガ館設立までのいきさつについて書いてみます。
きっかけは、1987年、アンジェイ・ワイダ監督が稲盛財団から、世界の優れた科学者、芸術家に贈られる京都賞、精神科学・表現芸術部門の受賞者に選ばれたことです。彼はその賞金4,500万円を、瞬時も迷うことなくそっくりポーランドに日本美術館を建設する資金として寄付しました。
現在の日本においても高額な賞金ですが、1980年代のポーランドの深刻な経済状況を考えたら、それは想像もできないほどの大金で、彼はこの高額の賞金でかなりのことが出来ました。思い通りに新しい映画を創る潤沢な費用にもなったでしょう。しかし、彼は賞金を自分のものとしませんでした。
『ワイダの世界╶映画・芸術・人生╶╴』(岩波ブックレットNO・107 岩波書店 1988年1月20日発行)の高野悦子との対談での彼の言葉を引用します。
今回、京都賞というすばらしい国際賞をいただくことになり、たいへんに幸せだとおもっております。いま、私の思いは、まだ大戦中の一九四四年、ナチス・ドイツの占領中のポーランドの古都クラクフで開催されました日本美術展にさかのぼります。
当時、私は十七歳でしたが、将来は画家になりたいという希望をもっていました。そのような私にとって、日本の喜多川歌麿とか葛飾北斎、さらには武具をはじめとする工芸品との出会いは、強い印象を残しました。それは、私にとって初めてのほんとうの芸術との出会いともいうべきものでした。
しかし、その後、それらの作品は一度も展示されることなく、現在にいたっています。
これらの作品は、今世紀初頭にポーランドの資産家のヤセンスキが、パリなどで浮世絵を中心に熱心に買い集めたもので、国立博物館に寄贈されておりました。ヤセンスキは、収集品は残しましたが、展示する場を残しませんでした。じつに、一万点以上の日本美術品が、六十年以上も眠ったままになっています。先ほどもお話しましたように、私にとって真の芸術との出会いでしたので、以来、つねにあのコレクションのことが頭の中にあったのです。
それが、今回思いもかけずに京都賞をいただくことになり、その賞金を、収集品を展示するための日本美術館の建設資金にしたいとおもいました。全額(4,500万円)を美術館建設のための資金の一部として寄付することとし、この問題のイニシアチブをとったわけです。私は人生の中で、そんな山のようなお金を手にしたことはありません。芸術家はお金をもちすぎてはいけないとおもいます。非道徳的になる可能性があります。しかも、いただくお金は日本からのものです。それが日本美術館建設のための基金の一部となるならば、日本とポーランドの新しい友好関係にも役立つのではないかとおもっております。
この対談では十七歳と語っていますが、ポーランドクラクフ市のマンガ館発行の英文パンフレットによると、画家志望であった十八歳のアンジェイ・ワイダ青年は、ナチス占領下の街でいつ連行されるかわからない危険の中、偽造の身分証明書類をポケットにいれ、たまたま開催されていたヤセンスキのコレクション展示を観に出かけたのです。その時に彼は日本美術に強い感銘を受けました。未来のワイダ監督の心を捉えた日本美術の魅力を推察すると、ワイダ監督が東日本大震災のときに日本に寄せたメッセージの中にそのヒントが感じられます。その部分を引用します。
日本の友人たちよ。
あなた方の国民性の素晴らしい点はすべて、ある事実を常に意識していることとつながっています。すなわち、人はいつ何時、危機に直面して自己の生き方を見直さざるをえなくなるか分からない、という事実です。
それにもかかわらず、日本人が悲観主義に陥らないのは、驚くべきことであり、また素晴らしいことです。悲観どころか、日本の芸術には生きることへの喜びと楽観があふれています。日本の芸術は人の本質を見事に描き、力強く、様式においても完璧です。
日本は私にとって大切な国です。日本での仕事や日本への旅で出会い、個人的に知遇を得た多くの人々。ポーランドの古都クラクフに日本美術・技術センターを建設するのに協力しあった仲間たち。天皇、皇后両陛下に同行してクラクフを訪れた皆さんは、日本とその文化が、ポーランドでいかに尊敬の念をもって見られているか、知っているに違いありません。
ドイツ占領下という深刻な危機の中で、若き日のアンジェイ・ワイダは日本美術の中に、悲観主義に陥ることのない世界観、「生きることへの喜びと楽観」を見つけ、慰められ励まされたのだと想像します。ワイダ監督は京都賞受賞を、ヤセンスキの日本美術コレクションの展示場所を創る一生に一度のチャンスと考えたのでした。
民主主義国家ではノーベル賞受賞者の賞金の使い道について国家が干渉するという話は聞いたことがありません。生活費に使っても賭け事に使っても、どこかに寄付してもそれは受賞者の自由です。ところがポーランド政府はワイダ監督の京都賞の賞金の使途について干渉しました。ワイダ監督はそれを見越していたのでコミュニスト政権下にあるポーランドの銀行に預金することはせず日本に賞金を残していました。
パンフレットの説明によりますと、ワイダ監督は案の定、賞金で日本美術館ではなく、クラクフ市の国立美術館のエアコンの設置を求められたのです。その上、十八歳のワイダ青年がナチス支配下に開催された日本美術展をボイコットしなかった過去に対する批判まで受けたということでした。私は国民すべてプロパガンダの道具でしかない当時の共産主義政権というものの徹底した国民支配の一端にふれて驚きました。
ワイダ監督は当然ながらいかなる政権の圧力にも屈する人間ではありません。ワイダ監督の強固な意志と、それ以上に検閲の煮え湯を飲まされながらも粘り強く映画を創り続けてきた優れた戦略家の手腕がなければ、政府の干渉をはねのけての日本美術館建設は到底不可能でした。
幸い、ワイダ監督の志に応じて日本側もワイダ監督を強く後押ししました。ワイダ監督夫妻が発起人となった京都クラクフ基金に日本側からの多額の資金が入りました。高野悦子を中心とした呼びかけで多くの日本人、JR東労組が募金活動に参加し(138,000人)、日本政府も資金を出し500万ドルほど(正確な数字については資料がみつかりませんでした)の寄付金を集めました。その結果クラクフ市も無償で土地を提供し、グッゲンハイムミュージアムなどで知られる世界的な建築家磯崎新が無償で美術館の設計を請け負ったのです。これはふつう建物価値の10パーセントを得る建築家としては破格のことですし、完成写真を見ていただければわかりますが、北斎の浮世絵を想わせる波をイメージした屋根の、美しい立派な建物をみれば、それが真摯な仕事であることは明らかで感動を覚えます。
このマンガ館建設期間中にポーランドの政治情勢の好転があり、ワイダ監督は「連帯」から出馬し上院議員になりました。マンガ館は晴れて1994年完成し、ワレサ大統領、日本からは高円宮ご夫妻臨席のもとに開館式典を行いました。アンジェイ・ワイダ監督は日本とポーランドの文化交流の大恩人なのでした。
クラクフ日本美術・技術センター マンガ館は日本文化紹介のための最高の舞台の一つです。日本はワイダ監督の日本美術への愛にこたえるためにも、今後益々日本の優れた文化・芸術を発信していく必要がありましょう。杜季女師の地唄舞公演がそのお手伝いとなりますことを花崎流門下生一同も心から願っております。
マンガ館の全体像は下記リンクからご覧ください。
http://manggha.pl/en/archive
文責 珠真女